2026年度、日本の防災行政は歴史的な転換点を迎えました。内閣府防災担当を格上げ・拡充する「防災庁」の創設と、初の法定計画となる「国土強靱化実施中期計画」(事業規模20兆円強)の始動です。防災を「復旧・復興」から「事前防災」へと重心移動させる政策転換は、防災テック・レジリエンス市場の需要構造を中長期にわたって規定します。本ページでは政策動向を整理し、産業への影響を報告します。

防災庁創設——省庁再編級のインパクト

防災庁は、これまで内閣府防災担当(併任中心で百数十人規模)が担ってきた防災行政を、専任大臣を置く数百人規模の常設組織へと拡充するものです。2024年11月に内閣官房へ防災庁設置準備室が設置され、有識者会議での制度設計を経て、2026年度中の発足に向けた法整備・体制整備が進められてきました。平時からの事前防災の司令塔機能、発災時の応急対応の一元化、復旧・復興支援までを一貫して担う点が最大の特徴です。

産業側から見た防災庁のインパクトは三つあります。第一に、予算の恒常化です。従来の防災予算は補正予算頼みの色彩が強く、需要の予見性が低いことが民間投資の障害でした。専任組織の発足は、当初予算ベースでの継続的な防災投資への転換を意味します。第二に、調達の標準化です。自治体ごとにばらばらだった防災情報システムの仕様が、国主導の標準化・共通化へ向かうことで、SaaS型サービスの全国展開が容易になります。第三に、官民連携の制度化です。防災庁構想では民間企業・スタートアップとの共創が明確に位置づけられており、防災テック企業にとって政策への接点が拡大します。

防災庁が担う具体的な機能として議論されているのは、物資備蓄の全国調整、避難所環境の抜本的な改善、災害ボランティアや広域応援の調整、そして防災分野の研究開発投資です。とりわけ避難所環境については、国際的な人道支援基準(スフィア基準)を踏まえた「TKB(トイレ・キッチン・ベッド)」の改善が政策課題として明示され、トイレカー・キッチンカーの広域配備、段ボールベッドの流通備蓄、避難所運営システムなど、具体的な調達需要へと展開し始めています。避難生活の質という従来後回しにされてきた領域に国の予算が向かうことは、生活関連産業にとっての新たな参入機会です。

時期 政策の動き 産業への意味
2021年度〜 5か年加速化対策(事業規模約15兆円)開始 インフラ更新・流域治水・防災DXへの集中投資
2023年12月 デジタル行財政改革で防災DXが重点分野に 防災アプリ・データ連携基盤の官民開発が加速
2024年1月 能登半島地震。新技術の実戦投入と課題の顕在化 ドローン・衛星通信・SIP4Dの有効性が実証される
2024年11月 防災庁設置準備室が発足 組織・予算の恒常化への道筋が明確に
2025年6月 国土強靱化実施中期計画を閣議決定 2026〜2030年度・事業規模20兆円強の需要が確定
2026年度 防災庁創設、実施中期計画が始動 事前防災シフトの司令塔が稼働、市場の予見性向上

図1: 防災政策の主な流れ(2021〜2026年度)。公表資料をもとに当サイト整理

国土強靱化実施中期計画——20兆円強の法定需要

2025年6月に閣議決定された国土強靱化実施中期計画は、改正国土強靱化基本法に基づく初の法定計画であり、2026年度から2030年度までの5年間で事業規模20兆円強を確保するものです。先行した5か年加速化対策の約15兆円から規模を拡大し、かつ法律に根拠を持つことで、政権交代や財政状況に左右されにくい安定需要となった点が画期的です。

計画の中身にも変化があります。従来型の河川改修・耐震化といったハード対策に加え、デジタル等新技術の活用による国土強靱化施策の高度化が明示的な柱となりました。具体的には、インフラ維持管理へのAI・センサー導入、線状降水帯等の予測精度向上、災害情報のデジタル化・共有基盤整備、無人化施工・ドローン活用などが位置づけられています。ハード工事の周辺に必ずデジタル需要が付随する構造となっており、建設業以外の企業にも参入余地が広がっています。

インフラ老朽化対策の考え方も「壊れてから直す事後保全」から「壊れる前に直す予防保全」へと転換されました。高度経済成長期に建設された道路橋・トンネル・水道管の多くが更新期を迎える中、点検データに基づいて劣化を予測し、優先順位をつけて計画的に補修する予防保全型メンテナンスは、維持管理費の中長期的な圧縮策として実施中期計画の柱に据えられています。センサーによる常時監視、ドローン・AIによる点検の効率化、点検データベースの整備など、インフラメンテナンス市場と防災テック市場はここで重なり合っています。

国土強靱化 主要計画の事業規模(概数) 3か年緊急対策 2018〜2020年度 約7兆円 5か年加速化対策 2021〜2025年度 約15兆円 実施中期計画 2026〜2030年度 20兆円強 ※政府公表値をもとに当サイト作成

図2: 国土強靱化関連計画の事業規模の推移。継続的な拡大が確認できる

防災DX官民共創協議会と行政調達の変化

政策と産業をつなぐ結節点として重要なのが、2022年に発足した防災DX官民共創協議会です。防災テック企業、通信キャリア、SIer、自治体などが参加し、会員数は数百団体規模に拡大しました。同協議会はデジタル庁と連携し、防災分野のデータ連携基盤の設計、防災アプリの相互運用性確保、自治体調達の共通仕様づくりに取り組んでいます。個社単位では動かせなかった「標準化」を業界として推進する場が生まれたことは、市場の成熟を示すマイルストーンといえます。

行政調達の中身も変わりつつあります。従来の防災システム調達は、数年に一度の大型ハード更改が中心でしたが、クラウド・サブスクリプション型の調達が広がり、スタートアップにも参入可能な規模感の案件が増加しました。また、マイナンバーカードを活用した避難所受付、クラウド型被災者支援システムなど、デジタル庁が主導する共通機能の全国展開は、関連ベンダーに継続的な導入・運用需要をもたらしています。

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自治体の現場——人手不足がテック需要を生む

政策の受け手である自治体の現場では、深刻な人手不足が防災テック導入の直接の動機になっています。市町村の防災担当職員は多くの自治体で数名規模、小規模町村では他業務との兼務が一般的です。激甚化する災害に対し、避難情報の発令判断、避難所運営、被災者支援業務を少人数でこなすことは限界に達しており、「人を増やせない以上、テクノロジーで補うしかない」という認識が広がりました。

具体的な導入例としては、AIによる避難情報発令支援、SNS投稿の自動解析による被害把握、避難所の混雑可視化、罹災証明のオンライン申請・自動判定などが挙げられます。能登半島地震では、被災自治体の業務を全国の自治体職員とデジタルツールで支える広域応援の仕組みが機能し、災害対応業務の標準化・システム化の必要性が改めて確認されました。

都道府県レベルでは、リスクの高い地域ほど先行投資が進んでいます。南海トラフ地震の被害が想定される静岡県・高知県などは、事前復興計画の策定や独自の防災アプリ整備で先行してきました。東京都は、風水害・地震・火山・電力途絶などの複合リスクに対応する「TOKYO強靱化プロジェクト」を掲げ、2040年代までに事業規模17兆円という長期投資を打ち出しています。都道府県の大型プロジェクトは、国の計画と並ぶもう一つの需要源であり、地域ごとの計画を読み込むことが防災ビジネスの市場調査の基本となっています。

産業への影響——需要の予見性が変える投資判断

以上の政策動向を総合すると、防災テック市場は「単年度・イベントドリブンの市場」から「中期計画に裏づけられた継続市場」へと構造が変化したと評価できます。20兆円強の実施中期計画と防災庁という恒常組織の存在は、民間企業が5年単位で事業計画・研究開発投資を立てられる環境を初めて提供しました。

一方で、政策依存度の高さはリスクでもあります。公共調達は価格競争に陥りやすく、また標準化の進展は差別化余地を狭める側面もあります。業界の先進企業は、公共需要を足場としつつ、企業向けBCPサービスや海外展開など民需・外需への多角化を進めています。企業向け市場の現況は企業BCPとレジリエンス経営のページで、海外展開の動向は将来展望と参入機会のページで詳しく報告します。

参入実務の観点では、自治体市場特有の「入口」を理解することが重要です。多くの自治体は、地域防災計画や受援計画に位置づけのある製品・サービスを優先的に調達します。また、災害時応援協定を締結した企業が発災時の実績を積み、それが次の調達での信頼につながるという循環があり、協定締結は営業活動の第一歩と位置づけられています。近年は、スタートアップ製品を試行的に導入するトライアル発注や、実証実験の公募プログラムを持つ自治体も増えており、実績のない新規参入者にも入口が開かれつつあります。

政策動向を追う実務的な方法としては、内閣府防災・デジタル庁・国土交通省の審議会資料、国土強靱化年次計画、各自治体の地域防災計画の改定情報が一次情報となります。防災白書と国土強靱化白書は市場全体を俯瞰する基礎資料であり、毎年の重点施策の変化から翌年度の調達テーマを先読みできます。政策ドリブンで動くこの市場では、公開情報の定点観測がそのまま市場調査になるという点を、参入検討の初期段階で押さえておくべきでしょう。

なお、政策主導の市場に共通する留意点として、計画の見直しリスクがあります。財政状況や政権の優先課題の変化により、個別施策の予算配分は毎年度変動します。法定計画化により大枠の安定性は増したものの、単一の施策・補助金に依存した事業計画は脆弱です。複数の政策テーマ(強靱化、防災DX、地方創生、GX)にまたがる提案力を持つことが、政策変動への耐性という意味での「事業のレジリエンス」になります。